アメリカで起こった核の人体実験の真実

アメリカ

アメリカとソ連、2つの超大国は第二次世界大戦において核兵器という最大の軍事力を手にしました。大戦の終結から冷戦へと、2国の対立は留まることを知らず、核開発競争は熾烈を極めました。

そして1945年からおよそ半世紀の間に、2,379回に及ぶ核実験が繰り返されることとなりました。その総エネルギーは、広島原爆リトルボーイの3万5千発以上ものエネルギーに相当すると言われています。

4種類の核実験

核実験は、実施する場所と高度により4種に分類されます。

①大気圏内核実験

地上、海上、空中で行われる核実験のことで、大気中に放射線物質を拡散してしまう危険性があります。

②地下核実験

地下の様々な震度で行われる核実験のことで、完全に地中のみで爆発が収束した場合には、ほとんど放射性物質が発生しません。

③大気圏外実験

大気圏外で行われる実験で、ロケットに乗せて宇宙空間で行われます。しかし、その衝撃が地上の電子機器にまで影響を与えることが判明し、実験そのものが禁止とされました。

④水中核実験

水中で行う実験で、魚雷や爆雷への転用のために行われる実験です。放射性物質は水も汚染するため、周囲の水質は汚染されます。

そして、核実験で大きなポイントとなるのが、爆発後の放射性物質が人体に与える影響でした。これらの影響を調べるため、アメリカでは数々の人体実験が行われてきたのです。

アメリカで起こった核の人体実験

放射性物質が人体に与える影響を調べるため、たくさんの人体実験が行われましたが、その被験者の多くは、何も知らない国民たちでした。核兵器開発に携わる医者や科学者たちは、望んでもいない、知らせることもない国民たちに対し、非道な実験を繰り返したのです。被験者には軍人、入院患者、妊婦、子供たち、社会的立場の弱い人間などが選ばれ、有色人種などは優先的に実験に参加させられました。

病院患者へのプルトニウム注射

1945年、核兵器開発に携わる多くの労働者たちの尿から、プルトニウムが検出されたことをきっかけに、同年から1947年の2年間、国内4か所の病院で患者18名に対しプルトニウムを注射し、その経過を観察するという実験が行われました。被験者は4歳~50歳までの男女で、確実の体に異常をきたす量のプルトニウムを、2~150回にかけて注射されました。そして多くの被験者は、この2年間で亡くなりました。

障害児への放射性物質投与

1940年代後半~1950年代にかけ、障害児病棟の患者120名に対し放射性物質入りのシリアルを朝食として食べさせる実験が行われました。これは、口から摂取した放射性物質が体内でどのように吸収されていくかを確認するための実験で、被験者に子供が選ばれたのは、大人よりも吸収が早いからでした。

妊婦への放射線照射

1945年~1949年にかけて、800名を超える妊婦に対し、政府は放射性ヨウ素を照射。胎児への影響を調べました。生まれてきた子供の中には、癌や白血病で死ぬ子供も多くいました。

囚人への放射線照射

1963年~1973年の間、囚人131名に対して睾丸に向けての放射線照射実験が行われました。これは、浴びれば確実に癌になるであろうという強さの放射線で、前線の兵士が受ける放射能の影響を想定した実験でした。実験参加者には1万円が手渡されました。

戦闘中の兵士に放射線照射

第二次大戦中、前線の兵士たちに対し、化学兵器に対しての防護服の性能テストと偽り、大量の放射線を照射する実験が行われました。その数およそ6万人とされています。近年、当時の実験対象者に発癌したものや、呼吸器系の病気にかかるものが多くあらわれ、訴訟問題となったことで明るみになりました。

自ら実験台となった兵士たち

1957年、5名の空軍将校が自らの意思で、核爆弾の威力及び放射性物質の影響を調べる実験に立ち合うため名乗りを上げました。彼らは上空5~600mで爆発した核爆弾の真下に立たのです。彼らに求められたことは、核兵器を核兵器で迎撃することにより、放射性物質が蔓延することに対する国民の不安を取り除くことでした。その後彼らには大きな病気もなく、80歳台まで生きた方もいました。彼らはグランド・ゼロと呼ばれ、一躍有名になりました。

アメリカでの核の人体実験まとめ

多くの核実験を繰り返した結果、アメリカ本土の実験地域は今なお放射能汚染に侵されています。さらに大気圏内での核実験は、空気中に放射性物質をばらまくことになり、これを禁止する国際条約が締結されました。世界中で核廃絶の動きが見られる中、未だ北朝鮮やイスラエルなどの核保有国が危険な動きを見せている世界情勢です。アメリカやソ連は、大戦中~冷戦期にこうした人体実験を実際に行っていたわけですが、未だ恐ろしい人体実験が世界のどこかで行われている可能性も十分に有り、まだまだ核の恐怖が消えることはないのかもしれません。